コロナのせいで何カ月も会えていないけれど、高知に息子が住んでいる。日曜市でにぎわう城下町からは離れた、のどかな所だ。
いろいろあって留守を守るために息子の小さなアパートに数週間暮らした時、一つ驚いたことがある。
近所のごみ収集所にカラス除けのネットが無いのだ。燃えるごみが袋のままむき出しなんて、私の住む街(さいたま市)では考えられない。たちまちカラスや野良猫に荒らされてカオスになるから。
当分は回収に来る様子もない収集所で、むき出しのごみ袋の山を眺めながら思った。
さすが高知。ここの動物たちは飢えていないのだ、と。
周囲には山が迫り、すぐ近くには川が流れている。きっと新鮮な野生の餌が豊富なのだろう。それにカラスやハトばかりいる都会と違って、そのへんを普通に猛禽類が飛び交っているから、生態系のバランスが良いのだろう。
全国的には動物たちが里に下りてきて問題になってきている所が多いと聞くから、田舎だから燃えるごみが荒らされないとは限らないのだけれど、少なくとも高知の、古風な路面電車が味わい深い音を立てながら通り過ぎる道端にたたずみ、私は「なんて豊かな所!」と感動したのだ。
息子の部屋には巨大なアシダカグモが出現する。でも彼らはゴキブリの捕食者だから無下に殺してはいけない。とても足が長くて素早くて恐ろしいのだが。
ごみを捨てに行く途中、水辺でとぐろを巻いているヘビも見た。ときどきカエルを見かけたから、そういうものを食べに来ているのかな。それとも近所の家々にネズミでもいるのかな。
とにかく、たくさんの生き物と会える土地は楽しい。怖かったり気持ち悪かったりもして愉快なことばかりではないのだが、不思議な模様や色や形に目を見張ったり、思わぬ動きにギョッとしたり、それって純粋に面白い。理屈ではなく。魂が震える感覚だ。
なんといっても生き物の造形は「時」という魔法が創造したものだから、人智を超えている。小さな一つ一つの生命が尊敬に値する。途方もない時間をかけて遺伝子を受け継いで、ここまで生きてきたのだから。
2020年は愛知目標のスタートから10年、生物多様性保全にとって節目の年だ。都会に暮らしていたら生き物たちとの遭遇が少なく、豊かな生態系を実感できる機会もなく、その価値を感じられない。だから、生物多様性を守ろう!と言われても、「なんのために?」と思う人が多いかもしれない。
貴重な薬が見つかるかもよ。人間に便利な材料をつくってくれる生き物がいるかもよ。そういう直接的な損得勘定で説明するのは、ちょっと寂しい。そんな狭い話ではないはず。
では脅すのはどうかしら。生態系を大切にしないと、人間に不都合な生き物ばかりが増えるかもよ。生態系のバランスが崩れて、ごみ収集所や畑など人間社会に寄生せざるを得ない種が増えて厄介かもよ。妙なウイルスが人間社会に入ってきてパンデミックを起こすかもよ(いまココ)。
まぁ、なんでもいい。手を変え品を変え、生態系保全の大切さを多くの人に伝えなければいけない。
今回のごみの話で言えば、少なくとも豊かな生態系は、収集所が荒らされて散乱したごみが水路へ流れて最終的に海洋プラスチック汚染につながるのを防いでくれているように思えた。高知大学の研究者に、そのあたりのメカニズムを解明してほしいものだ(勝手な願望。息子は文系)。
日本列島だけを見れば、過疎地で野生動物が優勢になり、人間社会を圧迫し始めていると聞く。でもそれは局所的な話で、世界全体では異常に増えすぎたヒトが生態系の絶妙なバランスを壊して野生生物を圧倒している現場のほうが多い。そもそも田舎の獣害も、偏った植生の人工林を増やしすぎたせいかもしれない。
大量のヒトが傍若無人な生き方で揺さぶりをかけているせいで船体が傾き、宇宙船地球号は今、転覆しそうになっている。なんとかしたい。細いオールで水をひとかきする思いで、また1つ記事を書いた。
「プラスチック汚染はこれからどうなる? 海洋物理学者・磯辺篤彦先生に聞く、プラスチック問題と私たちの未来」
ちなみに、この記事に写真を提供してくださった株式会社地域環境計画さんは、「鳥獣被害対策.com」というサイトを運営している。頭のいいカラスと闘っている地域や、山を下りてきた野生動物に畑を荒らされている地域に住んでいて、生き物たちとの共存に御苦労されている方は、ぜひご覧ください。